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感覚は夢というより目標だ。
香川真司選手も小学校4年生の時の寄せ書きに「サッカー選手になる。ワールドカッに出る。背番号10番。ハーフのセンター」と、強い思いが書かれている。
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2013.1.12 14:21 [westピックアップ]

ttp://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130112/waf13011214250026-n1.htm

インタビューに答える元巨人の桑田真澄さん


 小学生の時、グラウンドで監督やコーチから殴られない日はなかった。

連帯責任が当たり前で、チームメートがミスをしても「キャプテン、来い」と呼ばれ平手打ちされたり、

お尻をバットでたたかれたりした。

 殴られて愛情を感じたことは一度もない。「なぜだろう」「おかしい」と思ってきた。

体罰が嫌でグラウンドに行きたくなかった。体罰で力のある選手が野球嫌いになり、やめるのを見てきた。

子供は絶対服従だと思っているから体罰をする。一番ひきょうなやり方で、スポーツをする資格はないと思う。

 体罰をする指導者はたくさんいる。ほとんどが情熱家だが、熱意が空回りしてしまっている。

体罰を受けた子供は「殴られないためにどうしたらよいか」と、その場しのぎのことを考えるだけだ。

これではうまくならないし、自立心がなくなってしまう。

平成21年に早稲田大大学院に入学して、プロ野球選手と東京六大学の選手約550人にアンケートした結果、

中学や高校時代に「指導者から体罰を受けたことがある」と答えた選手が約半数いた。

われわれの時代に比べて「こんなに少ないのか」という印象だった。

 驚いたのは、選手の8割以上が中学や高校での体罰について「必要」「時には必要」と回答したことだ。

一定の成功を収めることができたからこそ、「あの厳しい指導方法は良かった」と思うことができるのだろう。

 体罰が減らないのは勝利至上主義があるためだ。プロ野球はそれでもよいが、アマチュアは育成主義でなくてはならない。

本来、スポーツにおいて乗り越えなくてはならないのは自分自身。人から何かをされて強くなるものではない。

スポーツには体力と技術力と精神力が必要なのであって、根性では勝てない。

 道具も戦術も進化した。それなのに指導者だけは進歩せず、昔の指導方法のままだ。

もっとスポーツの理論やコミュニケーションを勉強して、時代に合った指導方法に変えなくてはならない。

 今回の体罰事件を機に、スポーツ界は変わっていくべきだ。

東洋経済オンライン ttp://toyokeizai.net/articles/-/11872 中島 大輔:スポーツライター



強みは、頭の良さと性格の良さ

最近のプロ野球界では、「高卒外野手の人材難」が叫ばれている。


埼玉西武ライオンズの栗山巧(29)。高卒外野手として、球界最高の年俸を稼ぐ。

2012年のドラフト会議で1・2位指名を受けた24人のうち、高校生外野手として選択されたのは、広島の“外れ外れ1位”の高橋大樹(龍谷大平安)ただ1人。

11年では、ヤクルトが“外れ1位”で指名した川上竜平(光星学院。プロでは内野手登録だが、12年は2軍で外野手として出場)のみ。

10年ではオリックスが“外れ外れ外れ1位”で獲得した後藤駿太(前橋商業)、日本ハムに2位で入団した西川遥輝(智弁和歌山。プロでは内野手登録)の2人だった。

プロに進むような選手は、高校時代に4番やエースなど主力として鳴らした者が大半だ。ピッチャーやキャッチャー、ショートのような専門色の濃いポジションと異なり、

語弊を恐れずにいえば、プロに入るような能力を備えている者なら、ほとんどの選手が外野を守ることができる。

近年では、バッティングに特徴のある選手を外野に回して打撃面で力を発揮させるか、強肩や走力を活かすために外野手として起用するケースも見られる。「12球団最高の守備力」といわれる日本ハムの糸井嘉男、陽岱鋼、中田翔は後者に当たり、いずれもプロ入り後に外野へコンバートされた。

そんな潮流に反し、ある意味で異色の存在が西武の栗山巧だ。

01年4巡目に育英高校から入団した左打者は、“純粋な高卒外野手”だ。05年から1軍に定着し、西武が4年ぶりの日本一に輝いた08年にはリーグ最多安打でベストナインに選出されている。

ドラフト4巡目と決して高くない順位でプロの世界に入った栗山は、いわゆる成り上がりだ。先天的な要素の強い足の速さ、肩の強さともに球界トップクラスとは決していえない。それでも、高卒外野手としてプロ入りした現役選手の中で、栗山は12年の推定年俸で最も高い2億円を稼いでいるのだ(出来高は除く)。

ちなみに、高卒外野手で年俸1億円以上を手にしているのは、わずか5人しかいない。すべての外野手に目を向けても、栗山以上の高給取りは3億3000万円の和田一浩(中日)と、2億2000万円の金本知憲(阪神、12年限りで引退)のみだ。

12年シーズン終盤、知人の報道関係者から興味深い話を耳にした。ある球団で編成担当を務める者から、栗山の性格面、頭のよさについて聞かれたというのだ。

ここに、栗山がドラフト4巡目から球界トップに上り詰めた理由が潜む。

栗山は自分に厳しく、妥協を許さない。

10年シーズン開幕から2年連続で全144試合にフルイニング出場。12年は左太ももに負傷を抱えながら、グラウンドに立ち続けた。

チームのキャプテンという立場もあるのだろう。それに加え、世界記録を少しずつ、着実に更新していく棒高跳び選手のように、栗山は自らのハードルを上げていった。

「一昨年、去年は絶対フルイニング出場の気持ちでした。今年は強いこだわりというより、続けているものだから続けたい。去年もきついときがありました。でも、そこをできたのだから、今年できないのはおかしい。自分がやりたいと思ってやってきたことだから、やりたい。去年、一昨年の自分を否定するのは嫌。出られる状態に持っていって、ゲームに出たい。一歩引くのも大事だと思いますけど、今の立場、任されているポジションがあります。まだ若いし、痛いとか言っていられない」

29歳、自分に厳しいキャプテンは、絵に描いたような好青年でもある。周囲に気遣いができ、チームメートからの信頼は絶大だ。

論理的な思考を、言葉に表すことができる

12年シーズン序盤、八戸大学から入団して2年目の秋山翔吾は5番に抜擢された。クリーンアップで中島裕之、中村剛也という球界を代表する打者の後を打つことに「緊張した」という秋山に、栗山はこんなアドバイスを送った。

「どんなにいいバッターでも、10回に3回しか成功しない」

野球の世界では、バッターは3割を打てば一流と評価される。裏返せば、10回に7回は凡打でいいのだ。栗山の一言で、秋山は楽な気持ちになったという。

「10打席のうち3回の成功を狙うと、どうしてもそれより下がります。だから、5安打を狙うくらいの考えでいる。いい当たりが野手の正面を突くこともありますからね。栗山さんに言われて、『10回に3回の成功でいい』と思えるようになりました。ありがたい言葉ですね」

栗山はまた、論理的な思考を言葉に表すことができ、自らの成長を段階的にとらえられる選手でもある。

兵庫の名門・育英高校時代、栗山は2年生の頃から4番を打ち、通算47本塁打を記録した。当時は「ホントに技術がなかったので、スイングスピードで飛ばしていた」と言う。

しかし、現在は安打製造機のタイプだ。ピッチャーの投じたボールをぎりぎりまで見極め、打つポイントを体の近くに置いてボールを強くたたく。センターから左方向、いわゆる逆方向への安打が多く、玄人好みのタイプと言えるだろう。

“変身”のきっかけは、プロの壁にブチ当たったことだった。

「プロに入って、ボールにバットが当たらなかったんですよ。バーンと振っても当たらないので、まずは当てなきゃというところから始まった。2軍のピッチャーでもフォークを投げる人もいれば、緩急を使える人もいます。1軍には外国人もいますし、本物の長距離バッターがいる。僕は何とか1本のヒットを打たないと、2軍でも試合に出られない。打率を上げないことには話にならなかった」

懸命にバットを振り込んだ栗山は、センターからレフト方向への打撃を身に付けた。そうして08年、リーグ最多の167安打を放ち、同4位の打率3割1分7厘を記録した。

だが翌年、成績が下降する。打率はリーグ22位の2割6分7厘で、チームは4位に沈んだ。

迎えた10年シーズン、栗山は発想を転換した。2番打者という役割を与えられ、とにかく出塁数を増やそうと考えた。具体的に掲げた目標は、四球の数を増やし、三振を減らすことだった。

長打への欲求

「09年を振り返ったら、三振が多くてフォアボールが少なかったので、そこを逆転させれば、いい形の打撃になっていくと思いました。09年があったから、10年はこうなったということですね。09年にもう少しいい成績を残してチームに貢献していれば、10年は違ったスタイルで臨んでいたと思います。絶対に優勝争いをしなくちゃいけないと考えて、個人としても絶対にチームに貢献したいという思いがあった」

09年と10年の成績を比べると、四球は53→80、三振は106→69。栗山は2つの目標を達成すると同時に、打率をリーグ11位の3割1分に上昇させた。

そして翌年、次のステップに進む。09年に好成績を残せず、10年シーズンに封印したもの――長打への欲求を表すようになった。

「僕は外野手なので、長打を打てないとダメ」

冒頭で述べたように、外野は守備の負担が少ないポジションだ。DeNAのラミレスやヤクルトのミレッジのように、守備より打撃に特徴のある外国人を置くチームもある。近年では12年シーズンに最多安打を獲得した長野久義(巨人)や盗塁王に輝いた大島洋平(中日)のように、攻守ともハイレベルな選手の台頭が目立つものの、「まずは打てなければダメ」というポジションなのだ。

しかし、栗山には本塁打を量産するようなパワーはない。

そこで重視したのが、2塁打だった。それは、時代の流れを受けてのことでもある。11年に統一球、いわゆる“飛ばないボール”が導入されてから、球界では本塁打数が激減した。だから栗山は、2塁打に目をつけた。12年シーズン開幕前、彼はこんな話をしている。

「統一球になってホームランを打てるバッターが減っている分、2塁打を打てるバッターが貴重になってきました。チームからも必要とされるし、いい役割を果たせると思います。外野の間を抜いたり、シングルヒットの当たりでも走塁で2塁打にする。そういうのも含めて2塁打を多く打ちたい」

来シーズン、どんな変化を見せるのか

09年は24本だった2塁打が、10年は35本、11年は30本に増加した。しかし、12年は17本に減少する。8月21日のソフトバンク戦で死球により左尺骨を骨折し、103試合目で戦線離脱となった影響が大きい。1番を任され、出塁率を重視したことも背景にあるだろう。

だが、きたる13年シーズン、栗山は長打を求められる。3番を打ってきた中島がメジャーリーグに移籍する可能性が高く、4番の中村は10月に左ヒザを手術し、全治6カ月でシーズン後半から合流する見込みだ。渡辺久信監督は栗山を3番で起用する可能性を示唆している。打順が1番から3番に変われば、当然、チームの中で果たすべき役割も異なってくる。

高校時代にパワーヒッターだった自分を安打製造機に変身させることで、プロ野球界のトップまではい上がった栗山巧。チームきっての努力家は来季、どうやって長打力という上積みを自身に加えるのか。

段階を踏みながらステップアップしてきた栗山の新たな挑戦が、今から楽しみでならない。

プロのスカウトはアマチュア選手を獲得する際、性格面に目を光らせる。以前、『週刊東洋経済』のスポーツ&リーダーシップのコーナーで、広島の苑田聡彦スカウト部長に取材した際、こんな話をしていた。

「選手の伸びしろは、性格を見ます。たとえば練習の態度で、やる気があるか、ないか。やる気がない人はダメです。人のせいにするヤツもダメ。ベースカバーの際にピッチャーが怠ったとしても、内野手が『ピッチャーが悪い』とするのはよくない。それをみんなでカバーするのが野球。1つのボールを追いかけてやるものだから、他の競技とは違います。人の気持ちのわかるヤツが、ずっと伸びていく」
フモフモコラムttp://blog.livedoor.jp/vitaminw/

球界最高の頭脳・落合博満氏が斬る「中日VS巨人戦」が最高に深かった件。

カテゴリ:野球
2012年04月20日12:47

落合氏の言葉と半笑いが心に突き刺さる!
2011/10/07 工藤 公康氏講演「あきらめない男の生き方」
ttp://www.keiomcc.net/sekigaku-report/archives/2011_1/20111007/

プロ入り一年目のことだ。
コーチが「肩を開くな」「肘を上げろ」と指導してきた。
普通の選手なら「はい」といって素直にフォームを修正するところだろう。
しかしドラフト一位の18歳はこう問い返した。「『肩を開く』って、どういうことですか?」
「肘を上げるのは、本当に正しいことなんですか?」
コーチは面喰らいながらも「いいから俺の言うとおりにやれ」と諭した。
しかしそれで引き下がるような新人ではない。
「あなたの言う通りやって肩が壊れたら、責任取ってくれますか?」「何だと?生意気な!」
「責任取れないのなら、僕の好きにさせてください」
そんな激しいやり取りのあと、コーチは彼を無視するようになった。
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